• 自分の居場所がない・・

    当然のことですが、居場所とは単なる物理的な空間を指すものではありません。その場にいる「ひきこもり・不登校」の当事者にとって、何らかの意味をもつ空間でなければ意味がありません。

    その居場所の条件の第1に、「居場所は自分という存在感とともにある」ということが大切なのです。これは居場所のもっとも基本的な意味が、その人がなすべき行為や活動ではなく、存在そのものがその場に無理なく定位できるという存在論的なものになります。

    実際に、ひきこもりや不登校の子供の多くは、何らかの事情で学校や社会での自らの存在が脅かされていて、その場が文字通り居心地の悪い場になってしまった結果、そこから撤退したわけです。

    このもっとも典型的な事情は、いじめられた経験が大きいです。仲間から自らの存在を否定され無視された体験というのは、仲間や周囲の人々への強烈な不信や恐怖や怒りを引き起こすものです。

    時には深い心の傷となって、その後の対人関係にも暗い影を落としてしまうのです。

    学校や社会を避けて家庭に閉じこもったのは、否定され無視された彼ら自身の存在を守るための行為だったのです。

    だから、彼らが再び新たな場に加わろうと思い立っても、自らの存在がまた脅かされるのでは・・という過去のいじめられた経験からくる恐れや疑念が呼び起こされて、なかなか実行に移していくことができないんですね。

    だから、彼らが新たな場に通うためのもっとも基本的な条件というのは、その場で自らの存在が脅かされることなく安心して居られることです。

    別の言い片をすれば、存在自体の価値がまるごと認められることが居場所作りの根本になければいけないのです。いかに魅力的に見えても、その場が存在を脅かす居心地の悪い場と心に映った瞬間に、ひきこもりや不登校の子供は、その場から去っていってしまうのです。

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