• 不登校者やひきこもり者が家庭の他に居場所を見つけることの意義は、余分な成分を取り除いて純粋に心理的に見れば単に自己愛や自尊心を高めることで、理論的にはそれ自体はバーチャルな世界でも可能と言えなくもないのです。

    それをわざわざ現実的な場の中で実現していこうとするのはなぜでしょうか・・

    バーチャルという視点でいえば余剰に過ぎない「語り合い」をくぐり抜けて得ることのできる自己愛や自尊感情は、「語り合い」という複雑な媒介を極力取り除いてストレートに獲得したそれらとは異なっているはずです。

    つまり、「語り合い」を媒介して獲得した自己愛や自尊感情は、そうでない自己愛や自尊感情に比べて、豊かさや拡がりという「心の成熟」という点で違いが認められます。

    そしてこの「心の成熟」こそが、「語り合い」という面倒で複雑なな媒介を必要とする理由なのです。

    ではこの「心の成熟」とは何でしょうか・・

    「心の成熟」の形は時代や状況によって異なっていても、「心の成熟」の実感は時代や状況を超えて私達の心に確実に存在しているはずです。

    不登校者やひきこもり・ニートの居場所とは、彼らの心が成熟に向かっていくプロセスをともに歩む場でもあるのです。

    そんな居場所づくりの実践の中から、現代の「心の成熟」の内実に関する新たな言葉と物語が生まれていくことは、決して不可能ではないのです。

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  • 小学校低学年における不登校については、まず大きな問題になるのは、幼稚園・保育園から小学校へ上がった時点での問題になります。

    これは、「小1プロブレム」と言われるような小学校1年の最初の段階における学級の落ち着きのなさが不登校の問題とも関係してくると考えられています。

    もともとは、幼稚園・保育園において自由保育ということでしたので、それはどの枠を感じることなく生活していた子供たちが、小学校という時間枠に対して適応していくにはかなりの困難があるのでは・・と考えられるからです。

    新しい環境に適応していくのは誰しも不安になるものですが、特に対人関係の苦手な子供や自己表現の弱い子供は、幼稚園・保育園から小学校という劇的な環境の変化に適応することが難しくて、登校そのものが難しくなるからです。

    そして、それと関連して初めて母親の送り迎えなしで1人で学校に行くという体験も生じるからです。これは母子分離の問題でもあり、子供が成長していく上では大きなポイントになるのですが、この時期にうまく適応できないと不登校という状態に陥る可能性があるのです。

    母子分離の問題は、それまでの母子関係や分離不安への対応などが関係してくる問題ですので、子供だけの問題ではなく母親自身の分離不安への対処ということも問題になります。

    小学校低学年の子供には、母親さらには家族の影響が強く、不登校の問題への対応は母子並行面接あるいは合同面接、さらには家族面接等も考慮していく必要があるかもしれませんね。

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